境界線

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僕は本などで知識を得て気づいたことがあります

それは、齧った程度の人がうじゃうじゃいることです

これは、すごく根深い問題だと考えます。だって、僕もそうですし
知識をひけらかしている人種も該当します

ですが、この人たちがうじゃうじゃいるのは僕たち発信側に責任があると思います
よく、上記の人たちには気を付けようなどといった本や記事を見かけます。
確かに、気を付けるに越したことはないです。読み手の精査力があがればこのような人たちは減っていく可能性がありますし
しかし、問題はそこだけではないと僕は考えます。
単に、これだけやったらいいみたいな情報を発信してしまっている人たちにも責任があると思います
なぜなら、その方法はすごく簡単で即効性がありかつ、やった気になるからです

特に、これだけ飲んでいたら問題ないだったり、毎日3分だけでOKやこれさえ知っていれば
問題ないなど、の紹介するものを限定して発信する人たちです。
こういう人たちがいるから、やった気になって知識があると勘違いする人が増えているのではないかなと思います
このような情報は、初めの1歩としての価値はすごく高いと思います。
これを習慣にして次につなげるために必要なことを発信されている人は少数です

ここで、提案です
少し面倒かもしれませんが、発信の最後に「この動画・記事が言いたいことは?」
といった質問をコメント欄に書いてもらえばいいのではないでしょうか?
このような言い方でなくても、インプットしたことをアウトプットする習慣をいつの間にか
作っていたという環境を作ってあげれば、意外と知らんぞ!となる人がたくさんいると思います
僕自身、こうやってアウトプットするようになってから自分が上記の人たちと同じことをしていたと気づきました
発信者側がこのようなアウトプットの機会を作ることで、自然とフィードバックが出来てくるのではないでしょうか?
もし、自分たちが思うようなアウトプットが出てこない場合は、インプットの質の限界値が低いのかもしれません
自分の作品というのは、盲目的に素晴らしいという評価を下しがちです。一度フラットに見る習慣にもなるのではないでしょうか?



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